『わたしの物語』戦い終わって日が暮れて
「はぁはぁはぁ。つ、つかれた……」
木々の間を走り、森を抜け、見慣れた場所に飛び出してやっと背中を押す真弘の風が消え、はクタリとその場に崩れ落ちた。
スカートが汚れるのも気にせず土の上に座り、ぜぇぜぇと息をする。心臓が飛び上がりそうなくらいに跳ねてとにかく辛い。
声にならない言葉を何度か吐き出し、とにかくお礼を言わなければと荒い息のまま見上げると
「ハァ、疲れた。じゃねぇ! おまえ、一人でなに無茶してんだバカか!!」
不機嫌な顔で自分を見下ろす真弘の姿がそこにあった。
「す、すみません。今日はいつもと違って数が多くて……」
「あー、そこは悪かったよ」
俺が傍にいたせいだろうと頬を掻く真弘に「いえいえ無事でよかったです」とはニヘラと笑ってみせる。
そんなの緩い態度に真弘は気が抜けたようにガクリと肩を落とし、なんだよぉと呟くと、うな垂れたまま器用にを睨み付けた。
「ヘラヘラしてんじゃねえ。おまえ、何考えてんだよ」
「……はい。ごめんなさい」
女でなければ今頃マジで殴ってたぞと呟く真弘を見上げ、は素直に頭を下げる。今回は本当にこの人がいなければ危なかった。
この人がいたからオボレガミの数が多かったとも考えられるけれど、もしもそうでなかったら確実に自分はやられていたのだと
心の底から感じて、は真弘を見つめ「ありがとうございました」と微笑んだ。
「お、おう。……で、おまえは何をしてたんだよ」
「言わなきゃダメですかね」
「ったりまえだろうが」
ほんのりと頬を赤くてしてわざとらしく目線を逸らす真弘を眺め、先輩って結構恥ずかしがりやさんなのかな? と思っていると、目を合わせないまま
真弘にここ最近の行動理由を訊ねられ、は「ああ」と口ごもる。けれど珠紀も心配してるぞと言われ、放課後の出来事を思い出した
は「そうですよね、すみませんでした」と呟くと小さく笑って俯いた。
「実はその、自分にも何かできないかと考え……まして。それで実戦も兼ねて……ですね、通学路付近の見回りを……」
「はぁ? あんなとこ誰が通るんだよ、誰が」
「道に迷った珠紀さんとか……」
「あー……」
そういえば。と、真弘はつい先日に語った話を思い出す。珠紀はバカで目を離すとすぐやっかいごとに巻き込まれるから気をつけろ。
そういう意味を込めて珠紀が引っ越して早々道に迷い、オボレガミに遭遇したことを話してやったのだが……まさかそれでこんなことをしでかすなんて。
「だからってなぁ。一人で戦うかぁ? おまえ、本気でバカだろ」
「む、そんなにバカバカ言わないでくださいよ……」
ジロリと睨む真弘の視線にメゲることなくはぷぅっと頬を膨らませる。バカと言われるのも一度か二度までなら我慢できる。
けれど三度以上連続で言われるのは流石の私も傷つくから止めて欲しい。
「だって……」
「だって。なんだよ」
「だって『いざ』って時に刀使えなかったら困るじゃないですか。それじゃ珠紀さんを守れないし」
「どうして俺達に黙ってた」
「珠紀さんに話したら心配させるし。守護者のみなさんは話そうにも私のこと警戒しまくってるし。……だから言えなかったんだもん」
「だもん。じゃねーよ、バカ。話さないことでますます警戒されるって考え無かったのか? おまえ」
「……あ。そういえばそうですね。ウッカリしてました」
「ハァ〜。やっぱおまえバカだな」
「あーーー! またバカって言った!!」
「うるせーバーカ」
そこまでバカじゃないです、そりゃ賢いとは言いませんけど。と言いながらふいっと顔を逸らして膨れると、真弘は相当だぞ? と笑う。
今日始めて笑顔を見せた真弘の姿にはホッとしたけれど、どうやら少々意地っ張りなところがあるらしい彼女は
素直に笑顔を返すことができず、顔を背けたまま、すみませんでした。と不貞腐れたような声で口を尖らせた。
「子供じゃねえんだから……。って、それにしても、だ。おまえいつの間にあんなに刀を扱えるようになったんだよ」
「……はい?」
数日前までは危なっかしくて仕方が無かったのによ、そう言われては思わず真弘を見上げてきょとんと首を傾げる。
アレ、そう言えばいつからだっけ? そう考えて記憶を辿ってみるけれど、はっきりとは思い出せなくて。
おまけになんで刀なのに身体から出して光らせんだよとまで突っ込まれ、は額に手を当て「うーん」と唸ると何でだろ? と呟いた。
「自分でも全くワカリマセン。不思議ですね」
「不思議ですねっておまえなぁ……」
「そこは本当すみません。というか鴉取先輩、いつから見てたんですか?」
「あー。いつからって……校舎から出てゆくとこから?」
「そんな前から!? 嘘っ!! 全然気がつかなかった……」
オボレガミに集中していたとしても、先輩が目の前に現れるまで存在に全く気づかなかったなんてどれだけ自分は鈍いんだとは深くうな垂れる。
すると落ち込むの態度に気をよくしたらしい真弘は「相手が鴉取真弘先輩様なんだから仕方ねえ、気にすんな!」とニヤリと笑うと
乱暴にの髪をかき混ぜた。
「ちょ、ちょっと先輩! 髪の毛がぐちゃぐちゃになっちゃう!!」
「気にすんなって。元からおまえの髪はぐちゃぐちゃだったんだからよ」
「にしても酷いです鴉取せんぱーい!」
「うるせー。この鴉取真弘先輩様を心配させた罰だ。甘んじて受けやがれ」
「え? 先輩、心配してくれたんですか?」
「!? は、はぁ? んなことは一言も言ってねぇ! つーか、刀だ。刀のことを説明しやがれ!!」
「いやっ、説明しろって言われても……。えーっと、えぇーっと。……あっ!思い出したっ、なんとなく、です!」
「あぁっ!?」
なんだそりゃ。と心底呆れた顔をされてはぷうっとほっぺを膨らませる。
「だって本当にそうなんだもん、そうしろって声がなんとなく聞こえた気がして、なんとなーくやってみたらできたんだもん」
「……」
そう言って拗ねた顔で真弘を見れば、変な生き物を見るような目でコチラを見ていて……そんな彼の態度にムッとした顔を作るとはもう一度
だってそうなんだもん、と口を尖らせた。
「いや、まぁそういうこともある……んだろう。いや、あんのか? ま、まぁ、おまえがそうだって言うんならそうなんだろうけどよ……。
と、とりあえずそれは一旦保留にしておいてだな、大丈夫なのか、おまえ」
「何がですか?」
戸惑うような目をした真弘に大丈夫なのかと聞かれては再び首を傾げる。さっきから先輩の言うことは良く分からないことだらけだ。
ひょっとして自分は本当に先輩が言うようにバカなんだろうか? そう悩みかけたところでそんなの心情を察したのか
真弘は呆れたような息を吐くと「バーカ」との髪を乱暴にかき混ぜた。
「せ、先輩! 痛い痛い!!」
「あー、やっぱ痛いか。刀出すとき思いっきりそんな顔してたからそうだろうとは思ったんだよ」
「ち、違います! いや、確かにそっちも痛いんですけど今は頭が痛いですっ!」
再起不能なまでにぐしゃぐしゃになりつつある髪の毛を必死で押さえては声をあげる。目の前の俺様はの抵抗を楽しむかのように
今度は両手を使って頭をぐりぐりかき混ぜて大声で笑うと「おまえが平気ならいいんだけどよ」と、ぽんぽんぽんと三つ、の頭を撫でるように叩いた。
「……ありがとう、ございます」
「おう」
笑顔で自分を見る、真弘の瞳が優しくて、の胸が大きく跳ねる。
――え? なに? これ……。
早くなる心臓の音に驚き、つられて頬が赤がなってゆくのをはっきりと感じては慌てて俯く。ど、どうしちゃたの私? と
動揺する気持ちを必死に誤魔化しては「あの、ですね」と口ごもった。
「た、確かに出すとき痛いんですけど、でもどうやら私、刀を持ち歩いてないと非力らしくて……」
「は? いやおまえ、非力ってことはねーだろ」
幾らなんでも、と呆れ声の真弘に向かっては本当なんですよ、と立ち上がり、真弘の目の前に自分の刀を「持っててください」と差し出す。
「なんだ?」
「いいから持っててください! ……では、いっきますよぉ〜! トォ!」
それから真弘が戸惑いながらも刀を受け取るのを見届けて、は大きく息を吸うと気合を入れ、片足を振り上げそのまま真弘目掛けて振り下ろした。
……つもりだったのだが。
「う、うわぁぁぁぁ!!」
勢いがつき過ぎたのかそのまま大きくバランスを崩すと地面に向かってドスンとしりもちをついてしまった。
「い、いたたたた……」
思いっきり打ち付けたお尻が痛い。いや、物凄く痛い。けれどこれで自分の言ったことが真実だと分かってもらえた筈だと
は腰を浮かせてお尻をさすりながら「……ね?」と、涙目で真弘を見上げたのだけれど。
「………おまえ、わざとか?」
鈍くせえ……。と、半ば感心したように呟く真弘の声に、急に情けなくなっては「あははは」と乾いた笑いを漏らした。
確かに、確かにそうなんですけどもう少し、オブラートに包んで欲しいです、先輩……。
自分から言ったことですけど、それでも結構傷つくんですよとは頬を染め「すみません、大マジです」と俯く。
まさか、そんな……。と、顔は見えないけれど先輩の気配が言ってる気がする。失敗した、と思う。これは見せるべきじゃなかったかもしれない。
今までも散々怪しい人物扱いされてきたのに、これじゃあ怪しいを通りこしてもはや異次元レベルの生き物みたいじゃないか。
「あー、それならまあ……納得はしたくねえけど分かった。ってことで。ほ、ほら! じっとしてないでいい加減立て」
尻、冷えるぞ。そう言ってしょげるを気遣うように、真弘はゆっくりとの前に手を差し出した。
「……へ?」
突然目の前に出てきた真弘の手に驚いて、は小さく声をあげる。
それから数秒間、探るように真弘の顔と彼の手を交互に眺めておずおずと差し出された手を取った。
「よっ、と」
「あっ。ちょ、せ、せんぱい!?」
短い掛け声と共に片手で軽々と自分を引っ張りあげた真弘の、その力強さには驚きに目を見張る。
真弘が異性だということは理解していた。が、今まではそれを意識していたわけではなくただ性別が違うと単純に思っていただけで。
改めてこの人は男の人なんだとはっきりと自覚させられて、再びの胸が大きく跳ねた。
――ああ、何だか今日は、さっきから鴉取先輩にドキドキさせられっぱなしだ。一体私はどうしてしまったんだろう。
弾む胸を落ち着かせようと浅い呼吸を繰り返し、探るように真弘を見つめては小さく喉を鳴らす。……が。
「あ、鴉取せんぱ……」
「しっかしおまえ、変なヤツだよなー。霊力高いのにどんくせえ」
「…………は? ま、まぁ、自覚は全然無いんですけど、オボレガミは入れ食い状態だなー。って、霊力とどんくさいの関係なくないですか?」
の動揺に気づきもせず、のんびりとした声でニッと笑う真弘の態度に半ば呆れ、は意識してるのバレるのも困るけど
丸っきり気にされないも腹が立つものなんだなぁ。と、乙女心を理解できない先輩だって充分どんくさいですよと心の中で叫んで舌をだし
八つ当たりなのは分かってるけれどと口を尖らせた。
「……まあ、大蛇さんだったら術ぐらい教えてくれんじゃねーの」
「ん?」
突然機嫌が悪くなったの様子に気がついたのか、独り言のようでどこか気遣うような真弘の声がしては「えっ」と目を見開く。
簡単な術ぐらいなら教えてくれるだろ。おまえのどんくさいところは俺がなんとかしてやる。何かするなら俺に言え、だからもう
一人でこんな危ないことをするんじゃねぇと言われ笑われて、は身体を震わせた。
こんな私だけれど、一緒にいても良いのだろうか? 目を何度か瞬いて真弘を見つめる。
彼の言葉を素直に嬉しいと感じる。けれど……それでも、と、は不安な気持ちで情けなく微笑み呟いた。
「いいんでしょうか……。だって私、凄く怪しいじゃないですか」
記憶喪失だし正体不明だし変な刀持ってるし。そう言って、改めて自分という存在の怪しさに軽く落ち込む。
どう考えたって信用ゼロなのに術を教えて貰えるワケないじゃないですか、と。小さく答えて顔を伏せると「大丈夫じゃねーか」とのんびりした声が聞こえて
の頭がぽんぽんぽんっと優しく叩かれた。
「珠紀が、玉依姫がおまえのこと信用するって言ったんだ。だから守護者である俺達もそれに従う。おまえを信じる」
あんまり心配すんな、とニッと笑う真弘につられては安心したように微笑んだ。正直信じると言われても、不安で疑う気持ちはある。
けれどそれでもそう言って貰えたことが嬉しくて、ありがとうございます。とは深く頭を下げた。
玉依姫が信じるから守護者も信じる。それって凄いことだとは思った。彼らの間には自分には計り知れない絆というものが存在している。
素直にそう思ったから、何の迷いもなく思った言葉を口にして……直ぐには後悔した。
「ほんと皆さん珠紀さんが、玉依姫が大事なんですね」
──途端に訪れた沈黙。
「鴉取先輩?」
突然無言になった真弘を不思議に思い、ゆっくりと顔をあげたは息を呑んだ。
「せん……ぱ……い」
の視線の先、そこにはさっきまでとはまるで別人の、どこかに感情を置き忘れたような瞳で自分を見つめる真弘がいた。
深い緑の瞳は、凍えそうだと思えるほどに深く冷たく……哀しさに溢れ揺れている。
「あのっ……」
「……えは」
微かに届いた真弘の抑揚の無い声にはビクリと震えた。いつもとはまるで違う、別人のような声。
なんてことだ、自分は言ってはいけないことを言ってしまったのだと直ぐに理解できては唇を噛んだ。
「おまえは……。
自分の意思も関係なく、玉依姫を守れと一方的に言われ武器を持たされ、それでもおまえは……」
「私は……」
返事をしなければと呟いた言葉は続くことなく途切れて消えて。何を言えば良いのか分からないままはただ真弘を見つめ、じっとその場に立ち尽くした。