「……こちらです」
大蛇さんに促され、異界の森へ一歩足を踏み入れると途端にあたりがざわつき始め、独特の雰囲気に私の心臓が早くなった。
「なにこれ……」
そう呟いて眉をひそめ周りを見ると、何かを恐れるように風も無いのに木々が震えて、さらに不安を煽る。
じわじわと音もなく迫ってくる夜の闇が、私達を追い詰めるように視界を狭めて
纏わりつくような重たい空気に胸騒ぎを覚え、確かめるように後ろを振り返れば
「たまき……さん?」
いるはずの人物の姿がそこに無く、私は信じられないと首を振り、急いで周りを見渡した。
「鴉取先輩! 珠紀さんが!!」
「探せ、!」
「は、はいっ!」
胸の中にある力に導かれるまま、不気味な森を必死で走って走って、たどり着いた先。
そこには苦悶の表情で樹の幹を背に、身体をくの字に折り曲げる探し人の姿と、今一番出会いたくない人物の姿があって
恐怖と不安と怒りの感情がごちゃごちゃに混ざって吐きそうになりながら私は、珠紀さんを背に庇い刀を構えた。
けれど。
「おまえとは、後で会おう」
何故か目の前の人物はただ一言そう呟くと闇の中へ静かに消えて行った。
「……なんだったんだ」
「わかりません。でも珠紀さんが無事でよかった」
「うん、ごめんね……」
頭痛がすると訴える珠紀さんを支え、鴉取先輩の風の力で封印の場所へ急ぐと守護者は全員無事にそこにいて
私は安堵の息を吐いたけれど、胸の奥のざわめきはそれでも止むことがなく。
宝具を護る巨大な大木を見上げ私は、何かにすがるようにぐっと制服の胸元を握り締めた。
『わたしの物語』 聖なる少女と
封印の地はさっきまであった森のざわめきも纏わりつくような異界の空気もなく、ただ静かにそこにあった。
宝具を護る巨大な樹。不思議な気を放つ大樹に触れて、は小さく息を吐く。
緊張、し過ぎなのだろうか、酷く喉が渇いている。喉の奥から乾燥してしまっている気がして、これで声はでるのだろうかと
確かめるように「あー」と小さく喉を震わせると、掠れはしても音が出て、は「はぁ」と息を吐いた。
それにしてもここは静か過ぎる、と思う。静寂に包まれた空間、本来ならこれが正しい姿なのだろうけれど
今日に限っては何も無いことがとても不自然に思えて。
「……敵、来ないね」
沈黙の中、重苦しい空気に耐えられなくなったのか珠紀が小さく呟いた。
そうだね。と頷き苦笑して、このまま何事もなく一日が終わればいいと願ってみるけれど、そういうわけにはいかなくて。
「いや、来る。仕掛けてきたのは向こうなんだからな」
の気持ちに同調するように、拓磨が闇を見つめてボソリと言った。すると他の守護者達も全員緊張した面持ちで頷いて
はまた深く息を吐き、制服の胸元をぎゅっと握りしめた。
ああ、胸から伝わる振動が煩い。そのせいで息が苦しくなってしまうのに、どうして身体は言うことをきいてくれないんだ。
「ハァ……すぅ……ハァ――」
「……おい、」
目を瞑り、落ち着かなければと深い呼吸を繰り返す。胸元を握る手がじんわりと湿ってきて少し気持ちが悪い。
吸って吐いて吸って吐いて……そうやって何度も肺の中に酸素を送り込んでいるのに、未だ心臓の音は煩く鳴って
は早く落ち着かなければと胸の鼓動に意識を合わせ、何度も何度も息を吸い、吐き出した。
「っ!」
「……!? は、はいっ!」
と、突然、耳元に大きな声が響き渡り、は驚きに身体を仰け反らせ恐る恐る声のした方へ顔を向けた。
するとそこには両腕を組み、不機嫌そうな顔で立つ真弘の姿があって……は緊張とはまた違う胸の震えを感じながら
慌てて無理やり口の端をあげると「なんですか?」と掠れた声をだした。
「さっきから見てて思ったんだけどよ、おまえ、もしかして緊張してんのか?」
「なっ!? し、してませんよっ!」
「……嘘つけ」
図星をつかれたせいか思わず声が裏返り、誤魔化すように慌てて笑ってみせたけれど
真弘はお見通しだと言わんばかりに「おかしな声だしやがって」と息を吐くと、いつものように彼女の頭を3つ、軽く叩いた。
「心配すんな、戦いは全部俺達に任せておまえは珠紀の傍にいればいいんだよ」
「でも……」
「でも。じゃねえ。おまえのやるべきことは何だ」
「……た、玉依姫を、珠紀さんを守ることです」
「だな。だったらおまえは珠紀の傍を離れるな。……何があっても絶対に。だ」
わかったな。と、拒否することを許さないと言わんばかりの迫力で言い放つ真弘の
強い眼差しを正面から受けて、は無言でこくこく頷いた。
珠紀を守ることは、記憶のないが覚えている唯一の使命だ。だから真弘の言葉に異存はない。
けれど何故だろう、彼の言い方に違和感を覚える。
「……頼むぞ。」
「よろしくお願いしますね、さん」
「頼りにしてるぜ」
「二人とも、ご無事で」
もやもやとした気持ちで真弘から目線を外し戸惑うように周りを見渡せば、他の守護者達にもよろしく頼むと頷かれ、は眉を寄せる。
彼らの優しい眼差しに、自分はやっと彼らに認められ、受け入れてもらえたような気がして素直に嬉しいと思った。けれど。
――何があっても絶対にだ。と告げた真弘の瞳と同じ色をしている彼らのことがどうしても気になって
は目の前の真弘に顔を近づけ、その瞳をぐっと覗き込んだ。
「お、おい」
「どうしてですか」
「な、なにが……」
「みんな、どうしてそんな目をするの……」
「…………」
――ガサリ。
――!?
何故? という言葉にさっと顔を曇らせ後退る真弘を追いかけ、は一歩前へ出た。そうして再び口を開こうとしたそのタイミングで
暗闇から自分達のものではない軽い足音が聞こえ、瞬間、全員の身体に緊張が走った。
「だ、誰……?」
呻くように珠紀が声を出す。しかし足音は彼女の問いには答えず、ゆっくり地面を踏みしめこちらに近づいて。
やがて無言の守護者達が見つめるその先の、暗い闇の中から一人の少女が姿を現した。
――な、なに? 女……の子?
どこからどう見ても十歳前後の女の子にしか見えないのに、この威圧感はなんだ。
禍々しい森の気配に顔色ひとつ変えずここに現れた少女は……少女の姿をした何か、なのだろうか。
そうでなければおかしい。だってこんな場所に、結界も何もかもをすり抜けて普通の人間が来られる筈が無いのだから。
得体が知れないだけに気味が悪い。けれど彼女から感じる気配は『魔』というより『聖』という言葉がピタリと当てはまるようで。
一体何者? と、は小さく呟いて、胸の中から取り出した刀を握り、そこにチカラを込めた。
「……。ほう、珍しいモノがおるな」
その瞬間、少女がふっとの方へ目線を向け、何を考えているのか分からない顔でぼそりと呟いた。
「な、なに?」
「異質の力。おまえはモイライの僕……いや、おまえ自身もモイラなのか」
「…………え?」
面白いヤツだ。と口の端をあげる少女に、は驚きに目を大きく見開き声を詰まらせた。
この少女は一体、何を言っているのだろうか。モイライ? モイラ? それはなんだ。
「おまえは、自分のことが分からぬのか。……なるほど」
「い、一体何を……」
「……だ、誰なの? あなた」
短い言葉を発したっきり呆然とするの、眼差しの意味に気がついたのか、少女は目を細め薄く笑う。
と、を庇うように前へ出た珠紀が声を出し、少女は言われたことの意味が分からないというような顔でから目線を外すと
珠紀の方を眺め、小さく首を傾げた。
「誰? それはこのモイラのことか? それとも私のことか。私のことならば……そうだな、紹介しておく必要が、あるか」
少女が小さく首を傾ける。すると彼女の背後に三人の影が現れた。
「長髪の者がアイン、こっちの、鎌の男がツヴァイ、杖の老人がドライ。魔術師だ。その木の上でぼんやりしているのがフィーア。
…………そして私がモナド。セフィロトの化身、ロゴスの全て。アリア・ローゼンブルグだ」
少女は……アリアはそう告げると薄く微笑んだ。そして雲間から顔を出した月の光を浴びながら彼女はつまらなさそうに大樹をみあげ
「……おまえたちから、わが手中に収めるべきものを奪いに来た」
そう呟くと何かを考えるようにゆっくりと目を閉じた。
「……ふざけやがって! ――ガキの遊びなんかに付き合ってられるか!」
途端に怒りを隠そうともせず大声をあげて真弘が一歩前へ出る。するとそんな真弘をアリアは不思議そうな顔で見上げ……静かに目を伏せ
「アイン、ツヴァイ」と従者の名前を囁いた。
――次の瞬間。
「ぐっ……げほっ!?」
「鴉取先輩!!」
「このやろう、ちょっと効いたぜ……」
一瞬にして真弘の目の前にアインが現れ、拳で真弘を吹き飛ばし大樹へ叩き付けた。
そしてそれが合図だと言わんばかりに両者が一斉に動き出し、珠紀との目の前で激しい戦闘が巻き起こった。
大樹へと吹き飛ばされた真弘は息を整える間もなく自ら作り出した突風を幹に叩きつけ、アインとツヴァイに向かって飛び込む。
けれどアインはそれをギリギリでかわすと、そのまま拳を突き出して祐一を吹き飛ばし、その先の拓磨へ拳を振り上げた。
「……!」
ゴオオオン!と、凄まじい音と振動で空気が震え、あまりの激しさにの背後で珠紀が息を飲む。
アインの攻撃を両腕で防いだ拓磨は力に押され、その体勢のまま吹き飛ばされ地面をえぐり、小さく呻き
止めを刺そうと拓磨を追いかけたアインが前へ踏み出したその時、それを阻止すべく拓磨の前へでた卓が何かを呟き、アインの周囲に水の剣が噴出した。
「――!?」
けれどアインはその攻撃全てを避け、卓へと拳を突き出した。しかしその瞬間卓の身体はかき消えて
「……力押しのやつが相手だとやりやすいな」
いつの間にかアインの直ぐ傍に居た祐一が、突き出されたアインの腕に手を添え囁いて
途端にアインの腕は痛みに反応するように大きく跳ね、アインは顔を歪め短く呻いた。
「幻覚……」
「……狐邑先輩は痛みも作り出せるんだ」
凄い。と、背後で関心したような声を出す珠紀に小さく頷いて、はじっと前を見つめる。
未だ達の前では激しい戦いが繰り広げられ、祐一の幻覚に惑わされたアインが拓磨の反撃を受けて吹き飛ぶと
真弘は慎司の言霊の力により加速され、目に見えない速さで何度もツヴァイに風の剣をぶつけ後退させてゆく。
一見追い詰めているようにも見えるこの状況に、珠紀が小さく歓喜の声をあげるのを感じて
は苦しげに顔を歪ませると、軽く目を伏せた。
この人達は強い、本当に強い。けれど、それでも足りないのだ。
無意識に刀を持つ手が小刻みに震えている。これは恐怖、なのだろうか。分からない、何も分からないけれど私は知っている。
敵の力はこんなものではないと。
「……なにか、嬉しいことでもあるのか?」
いつの間にここまでやって来たのだろうか、自分達のすぐ目の前でアリアは珠紀を見上げて首をかしげ
それからカタカタと震えるの手元へ目線を移すと、面白そうなものを見るような目で囁いた。
「……ほう、記憶は無くても分かるのか、モイラ。ならば教えてやれ、あやつらは試しているだけだと。
おまえの後ろで我々に本気で勝てると勘違いをしておるこの者に、我らの本当の力を」
「な、なに? どういうこと? ちゃん……」
「…………」
アリアが言葉を発したと同時に場の雰囲気が変わり、異変に気づいたらしい守護者達が瞬時に敵から距離をとった。
そんな彼らの姿を遠くから眺め、は強く奥歯をかみ締める。
守護者達は強い、それは確かだ。珠紀さんも自分も彼らを信頼し、とても頼りにしている。
けれど敵の力はそれ以上に強大で、そしてこの先彼らを……
――彼ら? 彼らを何だ? 私は一体、何を言おうとした?
「違いの差がわかったか。これが、神の加護を授かりし者の力」
「ちゃんっ……」
「――!?」
震える珠紀の声でハッと我に返る。何をやっているんだ私は、気を逸らしている場合じゃない。
このままではアリアの命令一つで自分を含め、全員が命を奪われてしまう。それは戦いではなく、殺戮だ。
ゴクリと、の喉が鳴る。どうすればいい、どうすればこの状況で皆を、珠紀さんを守れるんだ。
「……私にセフィロトのチカラは役に立たない。アリア、みんなに手を出したら私が許さない」
「許さない? それは面白い。ふむ、モイラならばそれも可能かも知れぬ。だが、おまえは記憶を無くし自分が何者かも分からない。
それでは充分にチカラを使えまい。それにおまえはここから動けぬだろう? おまえが動けば後ろの者が危険に晒される」
「ぐっ……」
――珠紀から離れるな、何があっても絶対にだ。
瞬間、真弘の言葉が頭の中でこだましては言葉を詰まらせた。珠紀さんを守る、これが私の一番の使命。
それは分かっている。分かっているけれどこのままではみんなが……。
「安心しろ、そのつもりはない。今はまだ、だがな」
「……みんなを、どうするの?」
「心配しなくてもいい。これで終わりだ」
の心を読んだようにアリアは笑い、それから珠紀を見やると「大切なモノを失うのはつらいからな」と告げ、大樹に向かって歩き出した。
「あっ……」
ゆっくりと地面を踏みしめ大樹へ向かうアリアを見つめ「待って」と言いかけては口を噤む。
言えない。アリアを止めれば皆が死ぬ、だから止められない。
守護者達もそれを理解しているのか何も言わず、静かにその場に佇み大樹へ向かうアリアの姿を見つめていた。
「…………」
何もできない悔しさと恐怖と悲しさがない交ぜになって胸が苦しい。は感情を抑えるように片手で制服の胸元を掴み
もう片方の手を珠紀へと伸ばし、彼女の手を、存在を確かめるように強く握り締めた。
全員が無言で見つめる中、大樹にたどりついたアリアはそっと幹に触れた。
途端に大樹は封印を破らせまいと激しく抵抗し、目に見える程の強い電撃を何度も彼女の身体に走らせたが
アリアは何も感じていないのか眉一つ動かさず、まるで柔らかい何かに手を差し込むように幹の中へと腕を沈めていった。
「うっあっ……!!」
「珠紀さんっ!?」
途端に繋がった手に力が入り、背後から苦しむ珠紀の声が聞こえては慌てて振り返る。
するとそこには苦痛に顔を歪め、身体をくの字に曲げる珠紀の姿があって、は彼女の身体を支えるときつく抱きしめた。
「しっかりしてっ珠紀さん!」
「ちゃん……結界が消えちゃっ……た」
に身体を預け、ハァハァと荒い呼吸を繰り返しながら珠紀が、苦痛を吐き出すように言う。
え!? と驚きに顔をあげ大樹の方へ目をやると、の目に小さな腕輪を持つリアの姿が映った。
「……あれが、宝具」
呆然とアリアの手の中にある物体を目にしてが呟く。小さく頼りなく見える宝具、けれどその力は強大で
古よりこの地一帯を守っていた大切な宝物。それなのに……アリアが手にする宝具からはもう何の力も感じられなくて。
は唇を噛むと睨むようにアリアを見つめる。なんてことだ、封印が破られたことで宝具も力を失ってしまった。
鬼切丸を封じる結界が消えてしまったのだ。
「五つの封印の調和は崩れ、安定は崩壊した。これでおまえたちでも、好きに宝具を手に入れることができる」
退屈そうに周りを見渡し、アリアは自分の従者達に声をかけた。無言でアリアを見る者、黙って頷く者、薄く微笑む者、無関心に空を見つめる者
それぞれがそれぞれの反応を示し、アリアはそれを感情の無い瞳で眺め「帰るぞ」と一言呟き、守護者達に背を向け暗闇へ足を踏み出した。
「させるか!!」
「駄目! 拓磨っ殺されるっ……」
その瞬間、拓磨が叫びアインに向かって飛び出し、珠紀が悲痛な声をあげた。
――止めなきゃ!
その声に弾かれるように拓磨を追いかけが地面を蹴る。行っちゃダメだと心の中で叫んで、もう少しで拓磨に手が届く、そう思った瞬間
拓磨の拳は空を切り、アインの身体は二人の目の前で闇に溶けて消えていった。
――助かった。良かった……。
拓磨が無事なことに素直に安堵しては周りを見渡す。気がつけばアインを含めロゴスのメンバー全員がこの場から消え去っていて
辺りはまるで何事も無かったかのように静寂に包まれていた。
夢だったのだろうか? そう思って直ぐに考えを振り払うように頭を動かす。そんなわけはない、確かに今ここにロゴスと名乗る敵が現れ
結界を破壊され宝具を奪われたのだ。
激しい喪失感に眩暈がする。このまま座り込みたい気持ちに駆られながらも
はふらつく膝に力を込め、ゆっくりと珠紀の元へ歩き出した。
「……宝具、持っていかれちゃったね」
珠紀の隣にたどり着くと、彼女は地面にペタリと座り、呆然とした顔で呟いた。
その姿を横目で眺め「そうだね」と頷いて、は目線を動かし守護者達を見て息を吐く。
みんな無言で空(くう)を見つめ憔悴しきった顔をしていている。仕方がないことだとは思った。
それだけ敵は強かった。ただそれだけのことだとは目を伏せ、またひとつ深い息を吐いた。
「くそ!」
暗い異界の森に、地面に拳を打ちつけ、苛立ったような拓磨の声が響く。
けれどやがてその声も小さくなって消え、森はまた静かな闇に包まれて
彼らの長い一日が終わった。