『なんでこんな……』
『どうして……』

 遠いところで誰かが泣いている。私はそこに向かって一生懸命手を伸ばすけど届かなくて。
 間違えてしまったのは私、後悔してももう遅い。
 
 ――ごめんなさい、ごめんなさい。

 呪文のように何度も何度も呟いて、私の意識は離れていった。



 『わたしの物語』 昨日、そして今日。



「……うー。さいあくだ、もうっ……」

 目が覚めると同時に酷い眩暈に襲われて、は小さく呻いた。ぐるぐる回る天井に吐き気を覚えて目を閉じれば
さっきまで見ていた夢の内容を思い出して、溜息がでた。
 久々に見た嫌な夢。ここ最近は全く見ていなかったのに、どうして今頃になってまた……。

「だから……なのかな」

 何となく呟いて、ようやく眩暈から解放された身体を動かし目覚まし時計を見る。と、それはもうすぐ起きる時間だと告げていて
は肘で身体を支えるとゆっくり上半身を持ち上げた。
 窓から差し込んでくる朝の光は眩しいけれど穏やかで、どこかから聞こえてくる鳥のさえずりは楽しげで

  ああ、なんて爽やかな朝だろうと思う。

 ……気持ちはズシンと重いけれど。

「封印は破られ、私は誰も守れない……」

 昨夜の出来事が頭の中に浮かぶ。結局自分は何もできなかった、無様にも見逃された。
 おまけに自分の知らない正体を敵に聞かされ動揺までしてしまうなんて……本当に情けない。

 ――私の正体……か。

 無意識に溜息。
 きっと、アリアの言ったことは真実なのだと思う。
 モイライの僕、モイラ。この言葉に覚えは全くないけれど、彼女は私の中にある『ナニカ』を見てそう言ったんだって
理由は分からないけれど、頷く自分が身体の中にいる。

 ――私は一体、何者なんだろう……。

「……なんて。バカみたい」

 記憶に振り回され、敵にまで惑わされて。だから私はダメなんだと呟いて、気合を入れようとは自分の頬を強く叩く。
 それから勢い良く立ち上がると大きく伸びて、壁に掛けておいた制服を手に取った。
 今日は平日、当然学校に行かなければいけない日。気はあまり……というか全然進まないけれど
この成績じゃサボるわけにもゆかなくて、は制服に着替えると一つ「うん」と頷き、部屋の襖を勢いよく開いた。



***



「行ってきます、美鶴ちゃん」
「はい、行ってらっしゃいませ。さん。あの……珠紀さんのこと……」
「うん、分かってる」

 それじゃあ。と微笑んで、は玄関の扉を閉め、学校へ向かって歩く。
 久々に一人で歩く田舎道は、登校時間にまだ余裕があるせいか静かで清々しくすれ違う人も少ない。
 ひとりなのもたまには悪くないな、と思いながら鼻歌も交えて歩いてみるけれど、頭の中は思い出したくない出来事がぐるぐる回って

「……もうっ、なんなのよ」

 は歩いても間に合うのにと口を尖らせ、記憶を振り切るように足を速め、そして走り出した。

「おはよう! ちゃん」
「ハァハァ。お、おはよう!」 
 
 結局一度も休まず走り続け、学校まで来てしまった。
 呼吸が苦しい、早く座りたい。心臓はそう訴えるけれど、は教室に辿り着くとじっと呼吸を整えることも席に着くこともなく
乱暴に机の上にカバンを放り投げ、同級生達の波を笑顔ですり抜けて珠紀の教室へ急いだ。

 今日はまだ珠紀の顔を見ていない。朝食を摂るため居間に行き、珠紀が居ないことを不思議に思いどうしたのかと美鶴に尋ねて
そこでやっと珠紀が朝食も食べず早々に家をでたと知った。
 昨日の今日だから、朝起きたら直ぐ彼女の顔を見たかったのに。悪夢を見た割には朝までしっかり眠ってしまった自分の神経が恨めしい。

 昨夜、ひょっとしたら珠紀さんは眠りに落ちる寸前までかんがえなくてもいいことまで考えて眠れなかったかもしれない。
 もし眠れたとしても自分のように悪夢を見て、目覚めた途端に落ち込んでしまったのかもしれない。
 何も無かったはずはないんだ。だってそうじゃなきゃ朝食も食べずお弁当も持たず出て行くわけがない。

  ヤダヤダ、どうして気がつかなかったんだ。良くも悪くも思い込んだら一直線、それが春日珠紀という人なのに。
 
「もっとこう、ちゃんと周りを見ようよ、私」

 納得したくはないけれど、自分って相当鈍いのだろうか? そう思ってなんだかなぁと苦笑して
は自分の教室よりも見慣れてしまった教室の前で立ち止まり、扉を盾に身を隠し、こっそりとなかを覗き込んだ。
 いつもは堂々と入ってゆくのだけれど、今日はどうも躊躇する。なんというか、目指す相手、珠紀は室内にいた。の、だけど……
彼女は、クロスワードの雑誌を手に席につく拓磨と何やら深刻そうな顔で話しをしていて
これは声を掛け辛いなぁと、はドアに手を添えたままじっとその場に立ち、小さく唸った。

「ううむ、タイミングが掴めない……」
「……おい。なにやってんだおまえ。中に入るのか入らねぇのかハッキリしろ」

 中を覗いてそして隠れて。そんな風にドアの前でモジモジしていると突然頭上から乱暴な声が聞こえてきて、は慌てて顔を上げる。
 するとそこにはかなり特徴のある男子生徒が邪魔だと言わんばかりな目つきで自分を見下ろしていて、は慌てて端へ寄ると
頭を下げ、どうぞと手を差し出した。

「ご、ごめんなさい」
「……フンッ」
 
 あからさまに不機嫌な態度で男子生徒はを一瞥し、通り過ぎる。
 が、すれ違った途端振り返り、奇妙なモノを見るような目つきでを見るとグッと肩を掴み、距離を詰めてきた。

「おまえ……」
「ええっ!? は、はい?」

 突然の出来事に慌てて後退するけれど、相手も下がった分だけ近づいて。 
 なんで? どうして? と戸惑っているうちに一気に壁際まで追い詰められて、は声にならない声をあげ、大きく目を見開いた。
 灰色に近い髪色、赤い瞳、見た目は格好良いけど目つきが悪い。知って……いや、やっぱり知らない。
 動揺し過ぎたせいかそれとも現実逃避か、妙に冷静な気分で目の前の人物を見上げ特徴を観察する。
 そして数少ない自分の記憶を隅々まで辿ってみたけれど、知り合いの項目にこの顔は含まれておらず。
 結果、やっぱり知らない人だと結論がでたところで抵抗しようとしたけれど、既に彼の顔は鼻先数センチの所まで迫っていて
これはもうダメだ手遅れだとはぎゅっと目を閉じた。
  
「……フッ」

 微かな笑い声と共に、首筋に掛かる息。ゾクリと背中が震えて全身に力が入る。
 
 ――いやいやちょっと、ダメだってこれは!

 心の中で絶叫する以外成すすべなく、きつく目を閉じて近づく気配に身を硬くしていると、寸でのところで気配が止まり
は安堵する。が、ふうっと息を吐いたと同時に耳元に息がかけられ、低い声が落ちてきた。 

「おまえ、面白い匂いがするな」

「な、なになに!? っていうか…………へ?」

 「匂い……」と呟き、立ち尽くすにニヤリと笑い、すぐに何事も無かったような顔で去ってゆく背中を呆然と見送る。
 お、面白い匂いってなんだ? 咄嗟に自分の腕を鼻に近づけ嗅いでみるけれど……自分の匂いなんて分かるわけもなく。
 というか、良い匂いならまだしも面白い匂いだなんて女性に対して普通言わないよね、とはぎゅっと眉間にシワをよせ
こちらを振り向きもしない背中を見つめ、ワケが分からないと息を吐いた。

「……変わった人」
 
 焼きそばパンにこだわる人、タイヤキにこだわる人、お稲荷さんにこだわる人……変わってるのって守護者ならではだと思っていたけれど。
 季封村の人ってそういう人が多いのかもしれない。 

 変なとこに来ちゃったなぁと、改めて季封村は別の意味でもおかしな場所だと納得して珠紀の方へ目線を戻す。
 と、会話を終えたらしく自分の席へ戻ってゆく珠紀の姿が見えて、声をかけるなら今だとは口を開き……止めた。

 ――あー、想像以上だわ、こりゃ。

 見事なまでに落ち込む珠紀の姿に頬がヒクリと引き攣る。ある程度の予想はしてきたつもりだったけれど……まさかここまでとは。

「おっはよー、珠紀ちゃん。あれ、どうしちゃったの? 元気ないぞー」 

 相当落ち込んでいるのか、こちらに全く気がつかない珠紀の姿を眺め、どうしたものかと悩んでいると
彼女の隣の席の清乃が何のためらいも無く珠紀に話しかけているのが見えて、は苦笑する。
 話の合間に微かに聞こえる『倦怠期』『プレイ』『認知』という言葉は一体誰と誰に対して言っているのか?
考えたくもないな。と思いながらは気配を消して清乃の後ろに立つと、手刀を清乃の頭頂部に振り下ろした。

「……コラッ」
「!? いったぁ……。あ、おはよー! ちゃん」
「うん、おはよ。じゃなくて、珠紀さんに変なことを言わないの」
「えー。変なことなんて言ってないよー。これでも珠紀ちゃんを心配して、だね」
「いやいやいやいや。あの台詞のどこをどうとったらそうなるのか疑問なんですけど」

 頭を撫でながら暢気に笑う清乃に呆れつつ珠紀を盗み見る。と、彼女は何を言っているのか全く分からないと言うような顔をしていて
はふう、っと息を吐くと『どうかこのままで居てください、珠紀さん』と心の中で呟いた。

「で、本当のところどうしたの? 珠紀ちゃん。どれ、悩みならおねーさんに話してごらん? 姑問題もお任せだよ!」

「「…………」」

 力強く自分の胸を叩き「どーんとこい」と笑う清乃の姿に、言いようの無い不安を覚えては眉を寄せる。
 するとどうやら珠紀の方も同じようなことを考えているのか困ったようにヘニャリと眉を下げていて、やっぱりそうなるよねぇと思いながら
は清乃を見おろすとわざと大袈裟な素振りで「すっごい不安なんですけど〜」と笑顔を作った。

「失礼だぞぉ? 君たちぃ。でも…………あのさ、ほんとに、困ったことがあったら何でも言ってよ。できるだけ力になるから」
「……うん。ありがとう、清乃ちゃん」

 おどけたように笑って、ふっと、真面目な顔で心配なんだよと告げる清乃に珠紀が頷く。

 時々、こうやって冗談を言いながら気遣ってくれる清乃の態度がありがたい。
 本当の悩みなんていえなくて、誤魔化して笑う自分達なのに心の底から心配して、どこか分かってくれているような。
 今日みたいに落ち込んでいる日でも変わらず接してくれる彼女に、珠紀さんも自分も平凡な日常を感じられて癒されている。そんな気がする。
 
 ――清乃ちゃんが居てくれて良かった。ま、ちょっと、というかだいぶ変わった人ではあるけどね。

 でもきっと、そこが彼女のいいところ、なんだろうな。と思いながらは、嬉しそうに微笑む珠紀や清乃につられて笑った。

「あ、ねぇねぇ。ちゃんっていつ狗谷くんと知り合ったの? おねーさんびっくりしちゃった!」
「ん? 知り合い? 狗谷くん? 誰、それ」
「さっき話ししてたじゃな〜い。教室のドアの近くで」
「……はぁ」

 狗谷くんが笑顔で話してるの初めてみたよ。
 凄いねぇ、君は。そう言ってどこか脅えた目をする清乃の眼差しを追いかけて、つまらなさそうに窓の外を眺める狗谷の横顔を盗み見る。
 目つきが悪く不機嫌そうでちょっと怖そうでついでにエロ。言葉にしたらとんでもない不審者だなぁと妙に関心しながら
怖い怖いと呟く清乃と、きょとんとした目で自分を見上げる珠紀を交互に眺め「あれはね」と口を開いた。

「ドアの所に立ってたもんだから邪魔だって注意されただけだよ」
「なんだ。そっかぁ……つまんない」
「つまんないって何よ」
「いや、なんていうか。新たな恋の気配とか……ね?」

「はぁぁぁ!? な、なに言ってんのーー!!」

 だって仲よさそうだったじゃん。と一部始終を観察していたらしい清乃に楽しそうに笑われて
は思わずここが教室だということも忘れて大声を張り上げた。

「……あ。す、すみませんでした」

 途端に周りの視線を一気に受け、慌てて「なんでもないです」と頭を下げて身体を小さくちぢこませる。
 穴があったら即、入居したい。そんな気持ちで好奇心丸出しの清乃を軽く睨み、違うんだってばと口を尖らせると 
は、話すつもりの無かった部分を、誤解されたままでは仕方がないと話し始めた。 
 
「実は、匂いを……かがれた。でもって面白い匂いって言われた」
「は? なにそれ? 面白い匂いって……意味が分からないんだけど」
「私だって分からないって……。何なの? 彼」
「いや、私に聞かれても不登校気味だってことぐらいしか……」
「不登校? ああなるほど、だから見覚えないのか。……って、変な顔してどうしたの? 珠紀さん」
「え!? いや、えっと、ね。なんというか私も、彼に覚えがあるかなぁとか思って……その」
「え? 彼に覚え? え? …………まさか」
「う、うん……」

 狗谷を見つめ、戸惑うように眉を寄せて何も言わない珠紀を不審に思い訊ねると、自分も前にちゃんと似たようなことをされたと聞かされ呆然となる。
 しかも珠紀は「良い匂いがするな」だったと教えられ、は「はぁ?」と声を出し、狗谷の背中を睨んだ。

 珠紀さんは良い匂いで私は面白い? それってどういう意味!? というか、狗谷くんって何者!?

 この時期に突然現れたおかしな不登校児。変わった趣味というのかこだわりと、ふと感じたナニカはどこか覚えがあるような無いような。

 珠紀さんと私に接触してくるあたり、怪しいっていうかただの匂いフェチには思えないんだよね……とはいえ確信も無い、ただの勘だけど。
 と、は未だ窓の外を眺める狗谷を見つめ「もし封印に関係する者だったとしても、我々の敵ではありませんように」と願いを込めて呟いた。